新年あけましておめでとうございます。
2018年も皆様に頼っていただけれるように邁進していきます。もっと当院のこと、院長のわたしのことを知ってもらえればと思い、これから少しずつ僕の歩んできたストーリーをお話ししていきたいと思います。
MY STORY 〜きっかけ〜
子どものときの夢って皆さん、覚えていますか?
僕は幼稚園の頃は、父親が体育の先生であり柔道の先生だったためにその影響で、柔道の先生が将来の夢でした。
小学生の頃はうる覚えながら、お医者さんと言っていた記憶があります。
これは僕自身、生後4日で大手術を経験したからかと思っています。腸閉塞(イレウス)のなかの腸重積という病気でその当時は難病で、出雲市立病院で名医がいらっしゃり助かったと聞いています。お腹にはまだまだ横せんで手術のあとがくっきり残っています。
幼い頃から喘息で突然の発作がありましたが、普段は健康そのもので体力も人一倍あった元気な子でした。
中学に入り陸上部に入部。友達もたくさんで毎日が楽しい毎日。
陸上部の顧問(横○先生)に
マッサージをみんなでしよう!
という事をきっかけに、その道が見えてきました。
少し戻り
僕の父親は、体育の先生でありながら、柔道家。そして整骨院の先生の資格(柔道整復師)も持っていたんですね。
マッサージのことを父親にそれとなく言うと、
「いい仕事だよ〜!そのときの友人は成功している!」とそんなコメントからこの職業を意識し始めました。
マッサージも練習すればうまくなる。
何と言っても両親に喜んでもらえて
友達にも喜んでもらえる。
そんな想いを経験していき進路が固まりました!
中学2年生のときにはすでに
整骨院開業という夢を持っていました。
高校に入っても進路は変わることなく、順調に進級。愉快な友達と目的意識の高い友達と苦楽をともに3年間を過ごします。
陸上部ではよくケガをして、膝の裏の痛み、足首の捻挫をし練習が出来ない日も多くそんな経験も夢につながるピース。部員もケガで悩んでいることもあり、励ましたり、マッサージやストレッチをしたのを覚えています。
当時は大田市では整形外科が2つ、整骨院も少なく、
【いつか大田に帰って地域医療に貢献する。】
という目標までも掲げていたのは高校生のとき。
そして、
三年生の頃には、生活の時間でクラスメートの前で、「24歳になったら大田で開業します!」と断言したのを思い返します。
そう、きっかけはふとした事から。
でもそこには、その頃の想いが巡り夢にまでなって今は現実になっています。
子どもの頃の想いって強烈なんですね!
この島根、大田市で過ごした18年間を元に大阪へ。
明治東洋医学院専門学校 柔道整復学科に入学。と同時に吹田の鍼灸整骨院に働きに行きました。
ここからは怒涛の生活が始まります。
MY STORY〜きっかけ〜 は終わりになります。
つぎは大阪でのことを綴っていきます。
月森
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